ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「私のロシア文学」渡辺京二著

『私のロシア文学』 渡辺京二著 文春学藝ライブラリー雑30 2016年8月20日 第1刷発行

 この本は、渡辺京二氏が、ロシア文学を講義形式で紹介していく、という趣の本である。
 何でも渡辺氏は、十人ばかりの女性を前にして、しかもお寺で、これらのロシア文学談義を行ったという。やる人も聞く人も物好きだと思う。

 構成は、第1講から第5講までとなっており、最後に『ロシア文学と私』という短いエッセイが付いている。

 第1講 プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』
 第2講 ブーニン『暗い並木道』
 第3講 チェーホフ『犬を連れた奥さん』
 第4講 プーシキン『大尉の娘』
 第5講 ブルガーコフ巨匠とマルガリータ
 『ロシア文学と私』

 ちなみに第1講から第4講までは、『道標』とう季刊誌の連載を底本としているらしいが、第5講の『巨匠とマルガリータ』と最後の『ロシア文学と私』は、本書のための「書き下ろし」だそうである。


 本書で取り扱っているのは、比較的マイナーどころの作家たちではないかと思う。少なくとも、ブーニンブルガーコフといった作家の名を、私は本書ではじめて目にし、その作品にはじめて触れた。


 ブーニンは、ロシア革命の時に四十七歳で、すでに文壇的地位が確立された作家であったという。そんな彼は、五十を過ぎたころにフランスへ亡命する。そしてその亡命の地で、ブーニン独自の世界観が完成されていったという。

つまりこの人は若くして文壇の人となったのに、自分の本当の世界を探りあてたのは五十代半ばになってからなのです。亡命後にほんとうにいい作品を書いているのです。これはひとつは、祖国で絶滅させられたロシア貴族のよき伝統への哀切な思いが深まりかつ高まったからでしょう。(p.79-80)

 そして、亡命先のブーニンは「女と恋」をテーマにした作品ばかりを書いたという。亡命によって悲哀と苦渋を味わうこととなった人間にしては、ひどく手アカがついたテーマを選んだように感じられるのであるが。
 それは何故なのだろうか。本書には次のように書かれている。

それは政治や社会的行動を至上の価値とするロシア・マルクス主義に対する、彼なりの反措定だと思います。ソビエト権力の拠って立つ唯物論・物質主義に対して、物質にとどまらぬ霊感に人を導いてくれるものとして、女と恋を描いたのだと思います。人間の生を理解し構築する仕方が君たちは間違っているよ、階級闘争とか社会正義の建設なんていうところに、人間の生の重心はありませんよ、女と恋をまともに見詰めてごらんなさい、重心のあり方は一変するはずだよと彼は言いたかったのだと思います。すなわち人間的であるとはどういうことか考えてもみずに、理想社会の建設なんて無理だよ、人間的であることは恋と女の考察抜きには不可能だよと言いたかったのだと思います。(p.100-101)

 ブーニンにとって女性とは、「近づきがたいもの、求めても得られぬもの、謎めいたもの、拒むもの、断ち切るもの(p.97)」であったという。
 また、ブーニンにとって女性は、変転し移ろいゆく「森羅万象」の一端であり、彼はその奥に「永遠」の相を見ていたともいう。
 そして、「永遠」といったような「霊感に人を導いてくれるもの」を嘲笑するソビエト権力への抵抗として、ブーニンは自身の作品テーマとして「女と恋」を選んだのではないかというのである。


 ブルガーコフもまた、「断乎たる反ボリシェヴィキ派(p.180)」であり、そして、「意に反して亡命できなかった国内亡命者であった(p.180)」という。

 本書では『巨匠とマルガリータ』を中心に取り扱っているが、この『巨匠とマルガリータ』にはイェルサレム・セクション」と名付けられた小説が出てくる。これは登場人物の一人である「巨匠」が書いた小説であり、この「イェルサレム・セクション」は、小説内の小説といった形をとっている。

 そして、この「イェルサレム・セクション」は、聖書を題材とした物語、「ポンシオ・ピラトとイエス・キリストの物語」である。
 本書では、この物語の概略が述べられているが、その簡潔な概略だけでも、私は十分に興味をそそられた。

 私が特に目新しいと感じたところは、ピラトを前にした尋問において、イエスが、「自分の言うことを皆が取り違えている。特に弟子のマタイは自分をつけ回して間違ったことを書き付けているのだ」と主張している箇所である。「マタイによる福音」がデタラメだというのがおもしろい。
 次に、マタイ本人が出てきて、今度はマタイとピラトの間で問答が行われる。その部分を渡辺氏は次のようにまとめている(次の引用部分における「ヨシュア」とは「イエス」のこと)。

その中で重要なのは、自分の文庫の管理役につけてやろうというピラトの申し出を、マタイが断ったのに対するピラトの言葉です。「おまえはヨシュアの弟子をもって任じているようだが、しかし言っておこう、おまえは彼から教えられたことを何ひとつ身につけはしなかった。なぜなら、もし身につけていたとすれば、おまえはきっとわしから何かを受けとったはずだ。よく聞いておけ、彼は死ぬ前に、誰も責めはしないと言ったのだ」。ブルガーコフはマタイをドクトリンを固守するのを義とする者として見ているのは明白です。(p.247)

 このように、ブルガーコフが、福音史家のマタイを「単なる頭の固い教条主義者」のように描いているところがおもしろい。
 そして私は、こういうところをもう少しじっくり詳しく読んでいきたいと思った。なので、岩波文庫版の『巨匠とマルガリータ』を買った次第である。


 最後に、この『私のロシア文学』を読んでいて、私の印象に一番残った部分を書き残しておきたい。それは、書き下ろしのエッセイ「ロシア文学と私」における次の部分である。少々長いが引用したい。

要するにロシア文学が西洋文学の中でもつ特異性、たとえばフランスにそれが紹介されたとき、こんなふうに世界は何であるのか、その中の人間と社会はいかにあるべきか、といった思想的・倫理的主題を扱う文学が存在するのか、文学とはそんなものではないはずなのにという当惑と衝撃を与えた事実に証し立てられている特異性に、私の本性が照応したということだろう。
 つまり私は、純粋に文学にいれこむ少年ではなかったのだ。そのころはそのつもりだったが、それは少年の錯覚で、私は文学そのものの美とかおもしろさよりも、文学を思想として歴史として、人間が生きて来た事実として読む種類の人間だったのだ。だから、ロシア文学が性に合った。人はいかに生きて来たか、いかに生きるべきかとそれは問うていたからである。(p.264)

 この部分が印象に残ったというのも、私もまた、文学を「思想として歴史として、人間が生きて来た事実として(p.264)」読んでしまうからである。
 たしかに私も、文学の醍醐味とは、「表現の美しさ」や「題材の斬新さ」などであって、作品に織り込まれている思想などではない、という文学鑑賞法を目や耳にしたことはある。しかしながら、どうしてもピンとはこなかった。

 私は、どうしても文学作品に「世界は何であるのか、その中の人間と社会はいかにあるべきか、といった思想的・倫理的主題(p.264)」といったものを求めてしまうのである。だから、それがないと物たりなく感じてしまうのだ。
 私が、ロシア文学に引かれるのも、「人間、如何に生きるべきか」という、玄人には青臭く感じられるテーマを存分に扱っているからだ、と本書を読んで初めて思い至ったのである。

 純粋な文学鑑賞法が「高級フランス料理」のようなものなら、私のような鑑賞法は「B級グルメ」を好むようなものと例えられようか。つまりは、「文学の味」よりも「心の空腹」を満たすことを優先する読み方なのである。
 だがしかし、それでいいのだ、と私は感じている。これが、私に合った、私なりの読み方だからである。
 渡辺京二氏も最後に次のように述べ、本書を締めくくっている。

 私が十九世紀ロシア文学を愛して来たのは、それが純粋芸術ではなく、思想や倫理や歴史や政治を多分に混入した文学であるからだ。(中略)このことを白状しておけば、「ロシア文学と私」の関係は正体が暴露されたことになる。何だか肩がすっと軽くなった思いだ。(p.267)