ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「ライシテから読む現代フランス −−政治と宗教のいま」伊達聖伸著

 今回のテーマは、フランスの政治制度「ライシテ」である。


「ライシテから読む現代フランス −−政治と宗教のいま」伊達聖伸著 岩波新書1710


 「ライシテ」というものを知りたくて、この『ライシテから読む現代フランス』なる新書を買ったのですが、本書は「ライシテ」そのものよりも「現代フランスに生きるイスラム教徒」に焦点に当てた本であった。

 思っていたのと内容が違っていたので、今回はササッと手短に感想を述べていきたいと思います。


 まずはじめに「ライシテ」とは何なのかを振り返ってみよう。

それでもあえてひとつの定義を試みるならば、ライシテとは、宗教的に自律した政治勢力が、宗教的中立性の立場から、国家と諸教会を分離するかたちで、信教の自由を保障する考え方、またはその制度のことである。
「序章 共生と分断のはざまのライシテ」(p.15)

 そして著者の伊達聖伸氏は、この「ライシテ」が「現代フランス」において「硬直化」してきている、と問題提起をしているのである。


 「マイノリティ」である「現代フランスに生きるイスラム教徒」が、この「硬直化したライシテ」に苦しめられている、というのである。

ライシテが、マイノリティの人権よりもマジョリティの価値を守るものに、そして権威主義的なものになっている。
「第1章 ライシテとは厳格な政教分離のことなのか」(p.41)

 古き良き「ライシテ」は、ユダヤ教徒ユグノーなどの「マイノリティ」にも「信教の自由」を与えるものであった。
 しかしながら、「現代フランス」における「ライシテ」は、「マジョリティ」の価値を守るためのものに変容しつつあるそうな。
 そうした「価値観の押し付け」によって、「マイノリティ」が迫害されているのだという。


 非常に難しい問題である。
 そう思うのだが、ブログ主には、著者の伊達聖伸氏が「マイノリティ」の側に偏り過ぎのように感じられた。

 著者は「あとがき」で、「紙幅の制約があったからこそ、ひとまず割り切り、素材を吟味し論点を絞っていくことができた(p.242)」と述べているのだが、それでももっと「中立性」がほしいなと感じた。


 「現代フランス」ではなく、「現代中国」では、「イスラム教の中国化」が粛々と押し進められているようである。

 この動きは、先の表現を借りるなら、「マイノリティの人権よりも共産主義の価値を守るもの、そして権威主義的なもの」と言えるだろう。

 『ライシテから読む現代中国』は、「現代フランス」よりも容赦のないライシテが実行されているようである。


進む回族の「中国化」- イスラムのシンボルを排除せよ - 写真


 中国当局は、カトリック教会(あとチベット仏教)にもつれない仕打ちをなさっているので、こうした中国当局のやり方を肯定することはできない。

 しかしながら、SNSの発達によって世界中に拡散していく「原理主義」に対し、これといった処方箋がない以上、こうした「価値観の押し付け」もひとつの解決策といえるのかもしれない(一時しのぎにしかならないとも思うが...)。


おしまい。