ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

『ユダヤ人とユダヤ教』市川裕著

 先日、岩波新書から出ていた『ユダヤ人とユダヤ教』という本を買った。この本は「ユダヤ」というものを「多様な観点」から考察した本である。ちなみに「チンコ」にまつわるエピソードまでも載っかっている。

 そして、今回は久しぶりに「こんな本を買った」というカテゴリーでの投稿である。このカテゴリーの存在をすっかり忘れていた。
 ちなみに、このカテゴリーは、「ナナメ読み」した本の感想を手短に語ってゆくものです。


ユダヤ人とユダヤ教』市川裕著 岩波新書1755 2019年1月22日初版

ユダヤ人とユダヤ教 (岩波新書 新赤版 1755)

ユダヤ人とユダヤ教 (岩波新書 新赤版 1755)



 この『ユダヤ人とユダヤ教』という新書は、「歴史」「信仰」「学問」「社会」という、異なる四つの視点からユダヤ人をみつめ、それぞれを簡潔にまとめていった本である。

 著者も、そのあとがきで「思い切った単純化や概念化は、新書だからこその試みであった(p.187)」と述べているが、どの項目も短くまとめられており、かつ読みやすいので、ユダヤを知るための入門書として適した新書だと思う。

 また、「文献解題」と称された参考文献紹介コーナーも巻末に載せられており、「歴史」や「信仰」といった各分野を「より深く」知るための専門書が紹介されている。
 ブログ主は、こうした「書物リスト」が大好物なので、この一覧を眺めているだけでも恍惚とした気分になってくる。


 ここからは、本書で印象に残った部分を書き出していこうと思う。

 ではまず、「チンコ」の話題から。

 その後、アレクサンドロス大王の東征に伴い、ギリシア文化と出合ったユダヤ人たちは強い衝撃を受け、これに魅了された。割礼の跡を消そうと涙ぐましい努力をする若者が続出したともいわれる。
第二章 信仰から見る ユダイズムとユダヤ教 (p.55)

 なんと、大昔のユダヤの若者たちの間では、包茎チンコ」があこがれの対象となっていたというのだっ!!
 そんな、反(アンチ)・上野クリニック的なムーブメントが、かつて存在していたのである!
 
 これはアメリカ文化と出合った日本人たちとは、まったく逆の現象であるといえるだろう。
 アメリカ人のチンコを覗き見てしまった、われわれ日本男子は、己が「包茎」の跡を消そうと涙ぐましい努力をしているからなぁ(しみじみ)。

 こうして見てみると、若者のコンプレックスは、いつだって「チンコ」にあるようである。
 「ユダヤ人の精神文化」という近づき難いトピックであっても、こうしたエピソードを一つでも知ることができると、ユダヤというものが一気に近しく感じられてしまうから不思議である。


 次は、少しはまじめな話題をば。
 それは、ヨーロッパにすむユダヤ人にとって、フランス革命による「近代国家の誕生」というものが、いかに衝撃的であったか、と言うものである。

フランスの人権宣言はユダヤ人も対象とされ、革命議会においてユダヤ人への市民権付与が決定された。近代国家の設立に伴って、ユダヤ人も同等の権利を持つフランス国民の一員となったのである。
 これがユダヤ人にとっていかに衝撃的なことであったか。それは、ユダヤ人への迫害の歴史を思えば理解できるだろう。
第一章 歴史から見る フランス革命の衝撃 (p.39)

 ヨーロッパにおいて、長年「アウトサイダーとして、現地で生活しながらも、独自の文化を保っていたユダヤ人たち。
 そんな彼らが、近代国家の設立によって、いきなり「国民」となり、いきなり「インサイダー」になったのである。
 しかし、それは同時に、「政教分離」の問題や、独自の文化をどのように保っていくかといた問題を生むことになるのである。

ユダヤ人が市民権を取得するなど、近代以前には考えられないことであった。近代国家は国民に対して絶対的忠誠心を要求することができる。この要求は世俗的な場でとくに強力である。近代とは、命がけで祖国を守る殉国の思想が国民を拘束した時代でもある。ここに、社会に同化したユダヤ人は、どこまでユダヤアイデンティティを持ち続けられるのかという問いが生まれる。
第四章 社会から見る ユダヤ的百家争鳴 (p.159)

 この辺のことが、本書には様々な視点から、詳しくかつ簡潔に述べられているので、興味のある方は是非!


※今回も、本文および引用部分における“強調”部分は、ブログ主によるものです。