「魔女狩り」森島恒雄著 を買った
「魔女狩り」という異常事態において、聖職者のような「エリート」が主導的であったのか、そうではなく「民衆」が主導的であったのかという問題。
本書は「エリート主導」論を採用しており、その様々なエピソードを語っている。
一方、ウィキペディアでは「民衆主導」論がメインであり、その説も興味深かった。
- 作者: 森島恒雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1970/06/20
- メディア: 新書
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本書の要点は、「魔女狩りがキリスト教会などのエリート主導によって行われた」というところにあろう。
しかもこの旋風の目の中に立ってこれを煽り立てた人たちが、無知蒙昧な町民百姓ではなく、歴代の法皇、国王、貴族、当代一流の大学者、裁判官、文化人であったということ
「プロローグ」(p.7)
本書では、このような記述が繰り返し出てくるので、「魔女狩り」という狂乱がエリート主導であったことが深く印象づけられるのである。
が、しかしながら、本書とは異なる見解が、ウィキペディアの「魔女狩り」の項には記載されているのである。
かつて魔女狩りといえば、「12世紀以降キリスト教会の主導によって行われ、数百万人が犠牲になった」というように言われることが多かった。このような見方は1970年代以降の魔女狩りの学術的研究の進展によって修正されており、「近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された」と考えられている。
「ウィキペディア − 魔女狩り」より
このように、本書とウィキペディアで述べられていることが「真逆」であるので、本書を読み終わったとしても、「魔女狩り」の原動力となったのは、「エリート」と「民衆」、どちらであったのかという疑問は残り続ける。
本書が発行されたのは「1970年2月」であった。
なので、ウィキペディアの記述にあるような「1970年代以降の魔女狩りの学術的研究の進展」の成果は本書には反映されていないので、そのことも頭の隅に置いておく必要があろう。
また、本書は、「魔女狩り」はカトリック教会の「異端審問」の発展系である記されているが、これもウィキペディアの記載とは少しばかり異なっているようである。
なお、魔女狩りは異端審問の形式を一部借用しているが、その性格(異端はキリスト教徒でありながら、誤っているとされた信仰を持っている者であるのに対し、魔女・魔術師(魔法使い)はそもそもキリスト教を信じないとされる人々であるため全く別種)や実施された地域・時代が異なっているため、異端審問とは別種のものと考えるのが適切である。
「ウィキペディア − 異端審問」より
ウィキペディアにおいては、魔女狩りと異端審問は「別種のものと考えるのが適切」となっているのだが、本書においてはそれが「同一のもの」とまではいかないが、二つの違いが「あいまい」なものとなっているのである。
なので、本書を読み進めていると、著者が今言っているのは「魔女狩り」のことなのか「異端審問」のことなのかが分からなくなってくる。
このように、本書はいろいろな問題点があると思うが、同時にいろいろなエピソードが載せられているので、最後まで興味深く読み進めることができる本であった。
たとえば、次のような「チン」エピソードも載せられている。
男色魔の性器は巨大で、はなはだ硬く、極度の苦痛なしには受けいれられないとは、すべての女性の魔女のいうところであるが、一五八六年一一月一〇日アロークールでアレクセー・ドリジーは、彼女の相手の悪魔の性器は、勃起半ばですりこぎほどの長さがあったと、傍のすりこぎを指しながら自供した。」(レミー)
「Ⅱ 陰悪な「新しい魔女」の時代」(p.71-72)
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