『韓国を支配する「空気」の研究』牧野愛博(よしひろ)著 を買った
韓国を支配する「空気」とは、「公の場で日本をほめたたえてはならない」というものであり、そしてそれは戦争経験者への「気遣いと遠慮」から生じた「空気」だという。
また、韓国人の気質は白黒はっきりつける「本音を好む」ものであり、それは「本音と建て前」を使い分ける日本人の気質とは正反対のものである。
そして問題は、どちらの気質がよいものかという点にはなく、お互いの気質を理解しようと努力していく点にある。
韓国の諸事情を知ることができる本
この本は、サクッと読めて、かつ韓国の諸事情を知ることができるような諸エピソード満載で、買ってよかったと思えるようなとてもタメになる本であった。
第5章の「歴代指導者と韓国文化」では、朴正煕から文在寅に至るまでの各大統領の諸エピソードが語られており、個人的には盧武鉉大統領のエピソードが人間くさくて好きである。
韓国を支配する「空気」とは
本書によれば、韓国を支配している「空気」とは、「公の場においては日本を評価するような言動は慎まなければならない」というものなんだそうである。
そして、自分の主張をキッパリと表現することを好む韓国人であっても、「日本」のこととなると、とたんに「空気」を読んで自分の主張は控えて周囲に合わせてしまうのだという。
では、いったいどうして、韓国人は「日本」のこととなると周囲に合わせてしまうのだろうか。
著者の牧野氏は次のように述べている。
前述したように、韓国人が公の場で、慰安婦や徴用工などの歴史認識問題にからんで、日本を理解したり、支持したりする発言はタブーだからだ。
「日帝36年」と呼ばれる日本による朝鮮半島統治で被害を受けたと主張する人々への気遣いや遠慮が、こうした空気を作っている。
『第1章 好きだけど好きと言えない日本』(p.35)
日本を評価する言動がタブーなのは、老人たちへの「気遣いや遠慮」の故なのだというのである。
であるから、逆に「空気」を読まないと、老人たちに対する「不敬」にあたり、礼儀をわきまえない人ということになってしまうのであろう。
相手を理解する努力の必要性
また、著者の牧野氏は次のようなことも述べている。
日本と韓国はお隣同士だが、全く別の国だ。そこに生きる人々の考え方や習慣も違う。同じ事件や問題に対し、韓国人が日本人と全く同じ受け止め方をするとは限らない。
「まえがき」(p.15)
韓国人は、白黒はっきりつける「本音を好む」気質であり、意見をぶつけ合い、激しくケンカすることを好むという。
そして、ケンカする際には、ド派手なパフォーマンスを繰り広げるのだという。
ド派手に泣き叫んでみせたりするような場面は、TVのニュースでもよく流されているが、日本人はこれをみて「面食らってしまう」のではないだろうか。
「おいおい、なにもそこまでしなくたって...」と思って。
一方で日本人の方はといえば、「本音と建て前」を使い分ける気質であり、意見をぶつけ合うことを避け、ケンカを控えることの方を好む。
そして、たとえ激おこぷんぷん丸(古いか)であってもグッとこらえて押し黙り、堪忍袋の緒が切れたら唐突に怒りを表現しだすという仕様になっている。
で、韓国人は、これに「面食らってしまう」のだという。
「ひょえ〜、黙って聞いていると思っていたら突然怒り出したっ!」と思って。
このように、日本人と韓国人、お互いがお互いの怒り方に「面食らってしまう」のである。
というのも、日本人と韓国人、「外見」が似ているので、どうしても「気質」までも同じであることを求めてしまうからのようである。
けれども、著者の牧野氏が言うように、日本人と韓国人の「気質」は違ったものであり、「差異」があるということを心得ておかなければならないのである。
そして、お互いに「面食らってしまう」ような、気質の異なる気の合わないもの同士であっても、互いの「差異」を認め合い、なんとか付き合っていかなければならない。
「差異」については、「敵意」ではなく、「敬意」を、と言えようか。
「同じ人間だ」といって、「差異」から目をそらして付き合っていくことよりも、互いの「差異」を認め合い、相手の気質に「敬意」を払うことのほうが、大人の付き合いと呼べるのではなかろうか。
そして、そちらのほうが、「差異」からは目をそらす「オンナジ」による多様性よりも、真の多様性と呼べるのではなかろうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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