ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「マックス・ウェーバーを読む」仲正昌樹著 を買った

【ザックリとしたマトメ】
ドイツの社会学者および経済学者であるマックス・ウェーバーの主要著作(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『職業としての政治』『官僚制』『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』『社会学の基礎概念』『職業としての学問』)を解説した新書。

マックス・ウェーバーを読む」仲正昌樹著 講談社現代新書 2014年8月20日初版

 この前記事にした『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書)に引き続いての仲正昌樹氏の著作である。

 前回の『今こそアーレントを読み直す』は、仲正氏が「アーレントになり代わって考える」という「イタコ」スタイルをとることによって、アーレントの小難しい政治思想を題材としながらもサクサクと読み進められるような本であった。

 今回の『マックス・ウェーバーを読む』は、そんな読みやすい本ではなかった。
 本書は、ウェーバーの主要著作の解説といったものなので、ちゃんと主要著作に目を通していなければチンプンカンプンなってしまうような新書である。
 ワタクシは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だけは読んでいたので、この新書のその箇所だけは頭に入ってきて、そして理解を深めることもできた。

 ただし、全く未読の人であっても、「ウェーバーのこの本はおもしろそう」といったようなニュアンスは分かるので、自分がウェーバーの著作のどれに興味があるのかを知ることができる新書でもある。


 本書は、全四章構成で、マックス・ウェーバーの六つの主要著作を取り扱っている。

 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(第一章)
 『職業としての政治』と『官僚制』(第二章)
 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』と『社会学の基礎概念』(第三章)
 『職業としての学問』(第四章)


 今回は、ワタクシが読んでいて気になった、第四章『職業としての学問』のところをチョットだけ取り上げてオシマイにしたいと思う。

 現代社会において、学問の「専門化」が進んできているが、ウェーバーは、学問を志す者ならば、この「専門性」に「閉じこもること」を推奨しているのである。

 一般には、こうした学問の「専門化」といった昨今の傾向は、学問の「細分化」を招くとしてネガティブに捉えられることが多いようだが、ウェーバーはこの「専門化」をポジティブに捉えているのである。

 そして、ウェーバーは「専門」の分野に情熱を持って取り組まなくていけないと力説する一方で、当時若者たちの間で流行っていた「体験」とか「個性=人格」などを崇めるような態度にはきわめて批判的な態度をとっている。

彼に言わせれば、学問の領域で真に「個性」を発揮するのは、優れた「個性」の獲得に憧れる人ではなく、探求すべき「物=客体 Sache」に仕える人である。
自分ではなく、研究対象こそが重要だと考えられる人でなければ、本当の意味で、「学問」を「職業=使命」とすることはできない。
「第四章 ウェーバーの学問観−−『職業としての学問』をめぐって」(p.213)

 著者の仲正氏も述べていることだが、この「体験」や「個性」を神聖視するような傾向は「現代日本」にも当てはまることであろう。

 たしかに、「個性」を神聖視し、これみよがしに「個性的」であろうとする人は、実は「没個性的」な人であり、「個性」に頓着しない、一見「没個性的」に見える人ほど、実は「個性的」な人である、というのはありうる話である。

 「個性」を神聖視し、意識的に「個性」を「見える」形にしていったところで、それは何の意味もないことなのかもしれない。
 逆に、「見えない」ものを探求するという「学問」に仕えてこそ、その旅の過程において学問者は知らぬ間に「個性」を発揮していくことになるのかもしれない。

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