ハキダメ記

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「宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで」岡本亮輔著 を買った

【ザックリとしたまとめ】本書は、宗教を信仰の視点だけでなく、実践と所属という新しい視点を加えて分析するものである。この新たな視点によって、よく葬式仏教と揶揄されがちな日本の仏教も十分に宗教であることが明らかにされている。
また、スピリチュアル文化についても語られており、スピリチュアルを受け入れる人々にとっては、宗教はもはや自分を飾る道具にすぎないのだという。

「宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで」岡本亮輔著 中公新書2639 2021年4月25日初版

「宗教」を見つめ直す「視点」を与えてくれる新書

 前回の「キリスト教シャーマニズム」は、《韓国人》の宗教観を取り扱った新書であった。
 今回取り上げる新書は、《日本人》の宗教観を取り扱ったものである。

 手みじかな感想は「すげ〜面白かった」の一言である。

 そもそも「日本人の信仰心」を扱った本の切り口といえば、「日本人はスバラシイ」OR「日本人はケシカラン」、この二択に決まっているのだが、本書の切り口は違うのだ。

西欧とは異なる「日本人」の宗教観

 本書の特徴は、宗教を「信仰」・「実践」・「所属」の三要素に分解しているところだ。

 この斬新な視点によって、ワタクシは「宗教」というものをまったく別の角度から捉え直すことができたのである。

 一般的に「宗教」と聞けば「信仰」を思い浮かべるだろう。そして「信仰」といえば《キリスト教》だ。

 つまり、今まで、「宗教」を捉える目は、「信仰」の一視点しかなかったということである。
 そして、この視点から見て、日本人は「無宗教」である、と分析されていたのだ。

 このような世の流れに抗って、本書は、「信仰」とは別に「実践」と「所属」という二視点を新たに加え、これらの視点から《日本人》の宗教観を捉え直すものである。

 で、この視点から宗教を眺めてみれば、「葬式仏教」と揶揄される現代日本における仏教は「実践」の宗教であると言え、また、町内にある神社は「所属」の宗教であると言えるのだ。

 このように、「信仰」なき宗教も「宗教」たりえる、こうした視座がワタクシにはとても新鮮で、筆者の語り口にぐいぐい引き込まれていった。

 言い換えれば、日本では信仰を重視しない宗教が、広範かつ長期的に存在してきた。日本の伝統宗教は、どこかの時点で信仰を喪失したのではなく、そもそも信仰が主題化しないのだ。そして、こうした非信仰的な宗教のあり方は、キリスト教新宗教の観点からは異質に見えるのである。
「第1章 宗教の分解ー信仰・実践・所属から読み解く」(p.37)

 日本の宗教では「そもそも信仰が主題化しない」、この指摘は極めて重要であろう。
 つまり、日本人は「無宗教」なのではなく、その宗教観が《西欧》の宗教のあり方とは違っているだけなのだ。

 であるからして、お葬式や初詣などに代表されるような「実践」の宗教、檀家や氏子などに代表されるような「所属」の宗教、こうした「信仰」なき宗教こそが日本に根づいているのであり、それゆえに「信仰」の視点にこだわらないと、日本人は十二分に「宗教的」だと言えるのである。

 

スピリチュアル、自分を飾る「道具」としての宗教

 また、本書では「スピリチュアル」についても述べられており、その記述もカトリック信者のワタクシにはいろいろと考えさせられるものであった。

 本書によれば、「スピリチュアル」を受け入れる現代人は、「宗教」というものを、自分をリフレッシュさせる「商品」として捉えているのだという。
 「スピリチュアル」な「商品」を消費する人々は、「瞑想」を買って仕事の効率を上げるのに役立てたり、「滝行」を買って自分の人生を見つめ直すのに役立てたりしているのだ。

 このように、現代人にとって、「宗教」は自分を充実させるための「商品」および「道具」でしかない。
 これは、「信仰」の視点から見ると、「神」は「道具」でしかない、ということになろう。

 でもって、ワタクシが考えさせられたのが、「信仰」なき宗教観を持つ日本人のたどり着く先は、この「道具」としての宗教しかないのか、という点である。

 本書には次のような記述がある。

 死生をめぐる究極的な問いに応え、魂に救済を与える。宗教がこうした機能を果たし続ける社会もあるし、日本にも宗教に救いを求める人は存在するだろう。だが、多くの日本人にとって、宗教は、それなりに特別な情緒を得たり、気分転換したりするための清涼剤のようなものだ。
「終章 信仰なき社会のゆくえ」(p.213)

 日本人の宗教観は、西欧人と違って「信仰」を重要視しない。
 そうではあるが、日本人は「実践」や「所属」によって十分に「倫理的」に生きて行ける、というのもまた事実。

 けれども、宗教を単なる「商品」あるいは「道具」と捉えてしまうのは、ワタクシ的にはちょっと受け入れ難く感じてしまうのである。

 以上、おしまい。