ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

雑記「ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、『悪魔。イワンの悪夢』インスパイア系文章。悪魔、インテリを誘惑する

まあ、そう身構えないでくださいよ。僕みたいな虫ケラに。
あなたは、まごうことなきのこの世の主人なんですよ。
それに比べたら僕ら悪魔なんてのは、そのお屋敷の隅で小さくなっている下僕、いわばシラミみたいな存在にすぎません。

でもね、この下僕めはあなた方の心をしっかりと支えているんですよ。ここだけの話……あなた方人間様は、僕ら無しではいられない。

ちょっと考えてもみてくださいよ。賢いあなたならすぐに理解するはずです。
この世に「秩序」をもたらしているのは、神の恩寵なんかじゃないということを。
僕たちが慎ましやかに提供している恩寵、それも真の恩寵だということを。

僕たちの恩寵は、「鞭」みたいなもんでね、この極上の鞭でもって人間という馬車を華麗に捌いているんです。
そして、僕たちが鞭をふるい、こいつが穢れた尻、いや、人の心に打ち当たる時、その時、初めてこの世界に「秩序」という美しい音色が鳴り渡る、ってゆう寸法です。
鞭の名は「不安」……とか言いましてね、これに駆られた馬車は「安心」目指して一目散にまっしぐら、ってわけで。

世の人は僕たちのことを「醜悪な破壊者」なんて呼びますが、それは誹謗中傷ですよ、無理解も甚だしい。僕らほど熱心な「秩序」の守護者がどこにいます? 「正義」の使者が!

そりゃたまに派手な虐殺を仕でかす人間もいますが、あんなのは僕に言わせりゃ素人の粗相でね。そんな凡庸極まりない災厄で、僕たちが築き上げた「冷ややかな平穏」は揺るぎません。
それに、「鞭をふるう」と言ったって、僕らは何も乱暴なんてしませんよ。今のは文学的比喩ってやつでね。力任せな強制は一切致しません。
小さなシラミのやることと言えば、ただ人間の心をちょっとだけ刺してみる。それだけなんですよ。
僕らは人間様の心の片隅で「劣等感」のような、存在のいたたまれなさをちょいと刺激してみる。で、それの作用によって、ご主人様は「自発的」に活動し「優越感」へと疾走する、それによって正義と秩序がこの世界に根付いていくんです。

だからね、あなた方の心の片隅で咲いている「不安」という華奢な花。……これを「良心」と解釈してもいいんじゃないでしょうか。
だって、神がなくとも「秩序」を維持できるのは、この花のおかげなんですから。
どうです? これは素晴らしいことでしょう?

……法律? 法とおっしゃいましたか。はは、法なんてのは、「不安」をより効率的に煽るための概念にすぎませんよ。賢いあなたならピンと来るはずだ。
「世間にどう思われているか」という不安から秩序を守るようになり、そしてそんな律儀な自分に安心する。
だから、人間は僕たちのことをもっと誇ってもいいはずなんですよ。現状認識ができるならば、ね。せっかく、神という抑圧者から解放されて、この世の主人となり、正義と秩序を築き上げてきたんだから。

世の掟などお構いなしの傍若無人な人間もいるにはいますが、彼らの「上から目線」はどこから来ていると思います?
僕らに鞭打たれた彼らは、地位とか装飾品とか、あるいは組織とかいった外面的な「優越感」にまっしぐらなんです。つまり、彼らは内面でなく、外面だけで満足してしまうんだ。
高価なおべべを着ていれば有頂天になれる、そんな極めて陳腐な連中なんですよ。
その点、あなたは違う。あなたは「思想」を持っている。外面では満足できない人なんです。

そう、あなたは賢いし現実を見通している。あなたには民衆を導く力がある。だって、あなたには「真理」と呼んでもいい堅固たる思想がありますからね。それは、蒙昧な大衆を魅了するに足る素晴らしい看板となる。まるで聖職者が掲げる「十字架」のようにね。

そうそう、聖職者といえば、あの「罪の告白」という名の喜劇! あれにはいつも笑わされる。
さも殊勝な顔をして、悔悟の涙を流しながら「私の罪を告白します」なんて言っていますけどね。
僕が思わず微笑んでしまうのは、彼らの語る内容が、自分や世界への「憎悪」で一杯だ、というところですよ。
それに気づかずに、いや、気づかないようにして、薄汚い涙を流し、それで「洗い清められた」という安心を手に入れるんですよ。
はは、一番滑稽なのは、彼らは僕らの「不安」に駆られて告悔室に入り、僕らに跨がれたまま出てくるって点だ。
これはきっと、「敬虔な信者」ってのは、僕らのような可憐な花々を「心の拠り所」としている、ということの証なんだと思いますよ。そして、その偽りの涙でもって、「不安」という華奢な花を潤しているんです。ちょっと笑ってしまいますが、これは美しい行いだと思いますよ。

そうなんです。彼らは僕らを手放したくないんだ。彼らにとって重要なのは神なんかじゃなく、自分の「信心」なんだ。
悔悟の涙で神に立ち返ったと思っているが、「心の拠り所」は神なんかじゃなく、僕たちなんだ。
だって、「不安」に駆られている限り、彼らは永遠に「悲劇の主人公」でいられますからね。彼らの「心の清さ」の証明になってますからね。まさに「虐げられたるものは幸いなるかな」ですよ。
彼らの頭は月並みですけど、ちょっとだけ計算高いですね。
だって、免罪符としての被害者意識……これほど甘美な生存戦略が他にありますか?

ああ、でも、その教会もすっかり廃れてしまった。神が死んでからだいぶ経ちますからね。
そう、そんな中、大衆は新しい「秩序」を求めている。手垢のついていない新品の「清らかさ」を求めている。「自分はここにいていい」という証明を欲している!
それ故に、ですよ。この迷える小羊たちを、「真理」であるあなたが教え導くんですよ。世界は斬新な「思想」を求めているんですから。

かつての聖職者のように「不安」や「罪悪感」を煽ることで迷える民衆を導いてやりましょうよ。
聖職者よりも、もっと大胆に、ね。僕たちを受け入れ、ともに協力し合えば、もっと効率的に支配ができますよ。
それであなたの思想は、あなたの独創的な看板は世界に輝く。そして、全世界に正義と秩序が行き渡る。
素晴らしいことじゃないですか。大衆に、そして世界に「叡智」という鞭を食い込ませていきましょうよ。今までもこれからも一緒に、ね。

おや、まさかあなた、尻込みしているんですか? もし今、僕たちと共に栄光の一歩を踏み出せないとしたなら、あなたも「外面的」な優越感で満足する凡庸なバカと同類、ってことになりますよ。それでいいんですか? それが誰からも相手にされてこなかったあなた、寂しさに震えていたあなたの望むことですか?