ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「愛について」テイヤール・ド・シャルダン著 はこんな本だった②

はじめに

 本書は、
  「幸福についての省察」(1943年12月28日、北京における講演)
  「三つの結婚演説」(1928年、1935年、1948年)
  「愛について」
 以上の三つの章から構成されている。

 前回は『幸福についての省察』についての記事を書いた。
 今回は、『愛について』の記事を書こうとしたのだが、予想していたより難解で、結局挫折してしまった。

 この「愛について」という章は、7つの小論の集まりから構成されている。そして今回、ブログの記事にするにあたって、この中の6番目の小論「人間のエネルギー」を中心に据えて、テイヤールの思想をまとめてみようと算段したのだが、私の力量が伴わず、テイヤールの思想を解説できるほど、理解し、咀嚼することができなかったのだ。

 それでも、端的にまとめれば、テイヤールが7つの小論で言いたかったことは、『「愛のエネルギー」というものは、「宇宙」に働くエネルギーであり、それは全人類を「統一」へと導くエネルギーである』ということになろう。

 テイヤールは、日々「愛」という現象を批評して見せるほど慣れ親しんでいる私たちよりも、「愛」というものを遥かに高く評価し、そしてこの「愛」こそが、宇宙を根底で支えているエネルギーなのだと捉えているように思われた。

 今回、十分に理解することはできなかったものの、私が理解できた範囲だけでも書き留めておこうと思う。

愛は宇宙のエネルギーである

 テイヤールは次のように述べている。

愛(ここでは《情念》という限定された意味での愛を言う)は、その遍在性と烈しさにもかかわらず(あるいはそれらのゆえと言う方が正しいかもしれない)、現在までのところ、人間のエネルギーの合理的組織化の埒外におかれてきた。経験にもとづきながら、道徳はかろうじて、種族の維持とその物質的繁殖との関連からその慣習を法典化するに成功したにすぎない。しかしながら、この混沌とした(だが、周知のように、天才や諸芸術やいっさいの詩に生気を与えるものとしての)この力の下にはーーそれはけっして圧迫せず、変容させ、善用し、解放するに至った日にはじめて人間が人間となりうるような、一つの恐るべき創造的衝動が蓄積されているのである(p.97)

 日々、私たちが経験し、そして耳にする「愛」は、一方では熱狂を、一方では冷笑をもって受け入れられているように思われる。
 そして、テイヤールの指摘通り、この「愛」は、私たちの世界の諸芸術に多大な生気を与え続けてきたものである。
  では、この生気を生み出し続けたエネルギーは、いったいどこからやって来るものであろうか。
  テイヤールは、この愛のエネルギーというものを「宇宙」に働くものとして捉えているようなのだ。

  熱狂や冷笑をもって迎え入れられている我々の知る「愛」。
それは、「私」と「あなた」の間といったような人間の関係、もしくは社会的な関係に限定されていたもののように思われる。
この辺りがテイヤールの感覚と「異なる点」となるのではないか、と私には感じられた。

 そして、この「宇宙のエネルギー」を理解する上で重要になってくる言葉がある。
 それが「オメガ点」だ。
 この「オメガ点」が私には理解できなかった。オメガ点には色々な側面があったからだ。

 私が「そうかこう捉えればいいのだ」と思っても、やがてそれが一面でしかないことを思い知らされる。その多面性をわかりやすく解説したいが、わかりやすくしようとすれば、重大な思想の核心が失われることになる。これが悩ましいことであった。

 それでも、本来的な愛というのは「宇宙全体に働くエネルギー」であることは理解できた。

オメガ点、テイヤール思想の核となるもの

 我々は、愛に熱狂し、また冷笑する。愛に希望を抱き、また絶望する。
  その中でも、仲睦まじく、ささやかな二人の愛。これが愛の理想型のように思われる。
  しかし、テイヤールの言う愛は、「二人だけ」のものではない。それはテイヤールにとっては「始まり」に過ぎない。

 ここでのポイントは、「二人の愛」は否定されない、という点だ。「下等な愛」と否定されるのではなく、世俗的な愛も、宇宙的な愛への入り口になるということだ。
 そして、この「宇宙全体に働くエネルギー」の源であり、そのエネルギーの向かう先でもあるのが「オメガ点」である。
このエネルギーは、我々に生気を与える源となり、我々を「オメガ点」へと導き、「統一」させる。
 ただし、この「統一」は全体主義のような、個々人の人格を否定するものではなく、我々の人格を成長させ、より明確なものにするのである。
 テイヤールは、こうした愛を「人間のエネルギーの高次の形態としての愛」と呼んでいる。

 ここまでが、私に理解できたものである。
 この後、テイヤールは「愛による個体の行為の全体化」「愛による個体の自己自身にたいする全体化」「愛による、人類のなかでの各個体の全体化」と論を進めていくが、「オメガ点」という概念を咀嚼できていない私には、これ以上、話を進めることができない。

 それでも、私にとってテイヤールの愛の思想は非常に興味深いのだ。特に我々に馴染み深い「世俗的な愛」を頭から否定しないところに深い共感と安堵を覚える。教条的な愛の説教は、こうしたものを否定するものが多いからだ。
 だから、これからもテイヤール思想を四苦八苦しながらでも読み進めていきたいと思う。


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