ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「よりよき世界を求めて」第一五章

「よりよき世界を求めて」(カール・R・ポパー著/小河原誠・蔭山泰之訳 未来社 1995年刊)
Auf der Suche nach einer besseren Welt by Karl R. Popper(1989年刊)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

要約

第十五章 西側は何を信じているか(『開かれた社会』の著者からとられた)

当該部分は、著作権法に触れる可能性があるため、削除しました。(2017.11.11)

感想

 かつて、私の良心の座には「不安」が座っていた。そのころの私は、不安だから「よいこと」をおこなっていたのである。そして、不安の声に従うことによって安堵を得ていたのである。こういった不安の念は、社会的には秩序を維持させるのに役立つから「いいもの」といえるのかも知れない。
 けれども、この「不安」は私自身にとっては圧制者であった。私自身は全くよいものでないから、「不安」は「正義」と手を組んで、始終、私を責め苛むのである。
 私は、自意識過剰の状態に陥ってしまっていた。私は、その状態から抜け出す方法が分からなかった。また、抜け出そうとも欲しなかった。なぜなら、抜け出すことは「正義」からの逸脱を意味していたからである。それくらいまで、私の「正義感」と「不安感」は強力に結びついていたのだ。
 そんなさなかに、迂闊にもカトリックの洗礼を受けたから、正義の力がさらに強化されてしまい、ニッチもサッチもいかなくなってしまった。追いつめられた粗忽の私が、窮鼠猫を噛む的ヤケッパチになって、タブーである良心に噛みつくことによって、そいつが「不安」にすぎないこと知ったのである。
 「ハッ!」とした私は、108人のボンノーと共に「ワァーッッ!」と襲いかかって、不安を良心の座から追い出すことに成功したのである。自意識過剰の状態から抜け出したからといって、私は、野放図な人間になったわけではない。義人になったわけでもないけれど・・・・・・。

 この章のお題は「西側は何を信じているか」というものであった。それは、一般的にそう思われている「キリスト教」ではない。西側が信じているもの、それは「統一された理念」ではなく、「理念の多様性」を重んずることであるとポパーは指摘する。そのためには、ポパーが繰り返し訴えかけている「寛容の精神」というものが必要となるのであろう。
 ちょっと前にスタンダールの『赤と黒』を読んでいて、フランス革命のことをもっと知りたいと思ったので、岩波ジュニア新書の『フランス革命 歴史における劇薬』を読み進めているのだが、この本を読んでいると、ポパーの「寛容の精神」は、反大衆的、かつ革命を完遂する気のない弱腰の態度のように思われてくる。寛容は「正義」の遂行の障害になると思われてくるのである。不安や敵意こそが「正義」を遂行する力となるようである。
 このように正義を求める大衆の蜂起が、残虐な暴力行為になってしまう原因を、著者の遅塚忠躬(ちづかただみ)氏は四つ挙げている。
一、相手に対する不安と危惧の念。
二、リーダーの不在。
三、大衆の屈折した心情と窮迫した生活(貴族や富裕者に対する怨恨や復讐心)。

そして第四の、おそらく最大の原因は、大衆が、自分たちこそ正義の担い手だと信じたことでしょう。自分こそが正義であり真理であると信じたとき、敵に対して人がどれほど残酷になれるか、たとえば宗教戦争での殺し合いを考えてみて下さい。(中略)大衆の正義感と大衆の暴力は、まさに裏表の関係にあるのです。
フランス革命 歴史における劇薬』(p.141)

 私自身は、ポパーにシンパシーを覚えているので、敵意を原動力とした正義が、「人権」や「生存する権利」といった偉大な理念を確立したからといって、素直に首肯することができない。その偉大な理念の背後にある不安や敵意といった「負の感情」が気になってしょうがない。
 冒頭の私の昔語りに戻るが、かつて私を支配していた自意識過剰を思い起こしてしまうのである。「正義」と手を組んだ「負の感情」が、かつてのように自分自身に向かうのではなく、自分の以外の外敵に向かっただけのように思われてくる。
 また、彼らの言うことは守りなさい、しかし、彼らの行いは見習ってはいけないとキリストに言われたファリサイ派の人々のことも思い起こす(マタイ福音書23章)。
 「正義」とは、人を惑わすやっかいな存在だと思う。私たちがもっとも信じやすいのは、偉大な理念、正義の理念なのかもしれない。

 正義を我がものにしようとすると、「多様性」は失われてしまうのだと思う。偉大な理念であればあるほど、その前に謙虚になることによって、寛容の精神が育まれる機会が得られるのだと思う。偉大な理念を我がものとしようとするから、不安や絶望といった負の感情に支配されてしまうのだ。

 「よりよき世界を求めて」の要約は、これにて終了。「第十六章 科学と芸術における創造的自己批判」の要約は割愛させていただきます。次回からは『教皇ヨハネ・パウロ二世回勅 信仰と理性』の要約を予定してます。秋の夜長のように、気長に待ってて。

フランス革命―歴史における劇薬 (岩波ジュニア新書)

フランス革命―歴史における劇薬 (岩波ジュニア新書)