ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「よりよき世界を求めて」第一三章

「よりよき世界を求めて」(カール・R・ポパー著/小河原誠・蔭山泰之訳 未来社 1995年刊)
Auf der Suche nach einer besseren Welt by Karl R. Popper(1989年刊)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

要約

第一三章 わたくしは哲学をどのように見ているのか(フリッツ・ヴァイスマンと最初の月旅行者からとられた)

当該部分は、著作権法に触れる可能性があるため、削除しました。(2017.11.11)

感想

 この章のキーワードは、「確実な知」と、それを導き出す「知的エリート」であろうか。
 ポパーは、「そんなものはない!」と断言する。彼は「すべての人が哲学者なのだ」という。
 いわゆる「哲学に対する告発」は、この「確実な知」と「知的エリート」を模索し続ける姿勢に対してなされたのだと思う。
 けれども、ポパーによれば、「常識という不確実なもの」を出発点とし、それに批判を加えていくことによって、「よりよいもの」へと発展させていくものこそが、「哲学」なのである。
 ポパーにとって、「知識人」とは、「知的エリート」のことではなく、「知的謙虚さを持った人」のことを指すのである。職業哲学者は、特別な存在であるこらこそ、知的謙虚さを持って自らの職務を遂行していかなければならない。彼において、特別なものは、審美的なものや独創的なものを意味しないのだ。
 「信仰」にも同じことが言えると思う。よくキリスト教徒は「選ばれてある者」とか言われる。
 けれど、この「選ばれていること」によって、私たちは、他の人より高い位置に立つエリートになるわけではない。
 逆に、「選ばれてあること」によって、イエスが弟子の足を洗ったように、自ら身を低くし、謙虚さを持って日々生きていく使命を負うのだと思う。
 「クリスチャン」と自分をくくったり、くくられたりすると、自分が何者かになったような気がするが、私は、取るに足りない私でしかない。私は、ただ神が愛であると知っているだけなのである。ただそれがありがたいだけなのだ。

 今回の「IV」の要約は、いい出来ではないと思う。スピノザのあたりは特に自信がない。ですから、この要約を鵜呑みにしないでくださいね。