ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「よりよき世界を求めて」第一二章

「よりよき世界を求めて」(カール・R・ポパー著/小河原誠・蔭山泰之訳 未来社 1995年刊)
Auf der Suche nach einer besseren Welt by Karl R. Popper(1989年刊)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

要約

第一二章 歴史的理解についての客観的理論

当該部分は、著作権法に触れる可能性があるため、削除しました。(2017.11.11)

感想

 ある種の人々は、イデアの世界を人間を超越した絶対的な真理であると主張し、その様な超越なるものに反対する別の人々は、言語からなる世界を唱えた。そんな中、ポパーは「世界3」なるものを提唱した。
 「世界3」は、私たちを超越したイデアの世界であると同時に、限られた私たちの言語によって構築される世界である。「世界3」は「暫定的な」真理と言ってもいいのではないだろうか。それは、批判を繰り返すことによって改良を加えてゆける世界である。
 そして、ポパーの提唱する歴史理解の要点は、歴史上の人々がどのような姿勢で「世界3」を構築していったのかを理解する点にある。
 例えば、ガリレオ・ガリレイ。なぜガリレイがそのような行動をとったのか。それを説明するのに、多くの研究者は、心理学的な説明を行ってきた。理解の対象は、ガリレイの「世界2」、つまり彼の心の中にあるというのである。
 しかし、ポパーは、それに異を唱える。彼は、ガリレイの行動を説明するのに心理分析を用いることはない。ポパーは「世界3」に着目する。
 ポパーは、ガリレイが置かれていた「状況を分析する」という手法を提唱する。ガリレイが、何を目指し、どのような姿勢で問題に立ち向かい、そして「世界3」を形作っていったのか。そういった「問題状況」を分析することの方が、ガリレイの心理を分析することよりも重要だとポパーは言う。
 今日的視点から相手の心の中をのぞき込むよりも、相手が見ていたものを同じ立ち位置から眺めてみる、そうしたことで分かってくることもあるということだろうか。
 私もまた、過去の出来事を思い起こすとき、現在という「俯瞰的」立場から眺め、批評するだけで済ませてしまいがちだ。しかし、「俯瞰的」立場からは愚かしく見えるような行動であったにしても(ガリレイの理論のように)、同じ立場に立ってみて初めて分かってくることがあるのではないか。「俯瞰的」立場からガリレイの心理を分析し批評を加えるよりも、新たに見えてくるものがあるのではないか。
 俯瞰的な視点からは「世界3」を構築する過程が見えない、「問題状況」が見えない。俯瞰的な視点は、「白と黒」または「善と悪」の二元論によって物事を色づけてしまう傾向があると思う。こうした俯瞰的な視点、および二元論は、事故やトラブルなどの対処法としては欠かせないものであろうが、歴史理解に適用すると一面的になってしまうのではないかとも思う。