ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「よりよき世界を求めて」第二章

「よりよき世界を求めて」(カール・R・ポパー著/小河原誠・蔭山泰之訳 未来社 1995年刊)
Auf der Suche nach einer besseren Welt by Karl R. Popper(1989年刊)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

 まず、要約を始める前に、前回横着をしてやっていなかった「よりよき世界を求めて」の構成を書き留めておきたい。

《この書の構成》
第一部 知識について
 第一章 知識と実在の形成ーよりよき世界を求めて
 第二章 知と無知について
 第三章 いわゆる知の源泉について
 第四章 科学と批判
 第五章 社会科学の論理
 第六章 大言壮語に抗して

第二部 歴史について
 第七章 書物と思想、ヨーロッパ最初の本
 第八章 文化の衝突について
 第九章 イマヌエル・カント 啓蒙の哲学者
 第一〇章 知による自己解放
 第一一章 自由主義の原則に照らしてみた世論
 第一二章 歴史理科会についての客観的理論

第三部 最近のものから
 第一三章 わたしは哲学をどのように見ているか
 第一四章 寛容と知的責任
 第一五章 西側は何を信じているか
 第十六章 科学と芸術における創造的自己批判

要約

第二章 知と無知について

当該部分は、著作権法に触れる可能性があるため、削除しました。(2017.11.11)

感想

 ソクラテスプラトンの「賢明さ」のイメージが異なっていると言うことは、この書で指摘されるまで意識したことがなかった。私もまた「無知の知」を「持ちきれないほど持っているのに、全く持っていないフリをする」といったアイロニー的な態度としか捉えていなかったのだろう。
 ソクラテスにとって大きな意味を持っていたのは、知っていることよりも、「知らないことを知りたい」という要求の方であった。
 一方プラトンにとって大きな意味を持っていたのは、知っていることの方であった。これが二人の知的態度の違いであった。
 ソクラテスの「無知の知」とは、知識量の多寡を意味していたのではなく、もっと多くのことを知りたいという渇望を意味していたのだと思う。そして彼は「確実な知」など求めてもいなかったと思う。ソクラテスは、知から遠く隔たっていても、それでも知に向かって進むことに喜びを見出していたのだと思う。そういった知は「生きている知」と呼べるのではないだろうか。確実な知、尊大な知は「死んだ知」ではないか。
 この「知的謙遜さ」は、キリスト教の教えにも当てはめることができると思う。私たちは真理という太陽に向かって育っていく生きている木々なのである。「確実な知」という枯れた木に向かって進んでいくのではない。

 ポパーを特に思い入れもなく、ただ「いい本」として取り上げられていたので読み出したのだが、やはり面白い。わたしの頭には難しいけど、面白い。高いけど(4000円近くする)買ってよかった。