ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「よりよき世界を求めて」第三章

「よりよき世界を求めて」(カール・R・ポパー著/小河原誠・蔭山泰之訳 未来社 1995年刊)
Auf der Suche nach einer besseren Welt by Karl R. Popper(1989年刊)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

要約

第三章 いわゆる知の源泉について

当該部分は、著作権法に触れる可能性があるため、削除しました。(2017.11.11)

感想

 ポパーを読んでいて「いいなぁ」と思うところは、彼が真理を自分のものにしないところである。彼にとって真理とは、あくまで向かうところなのであって、それは自分の外に、むしろ人間の外にあるものなのだろう。
 一方、権威主義的な理念は、真理を自分たちのものにしようとするための試行錯誤と言えるだろう。これはごくありふれた知的態度だと思う。

 ポパーの言うように、真理は誰のものでもなく、皆が向かっていくところなのだと考えると、その道程に伸び伸びとした広がりを感じる。これは真理を自分のものにしようとする権威主義者には味わえない自由であると思う。
 
 けれど私には、「真理を我がものとして安心したい」という欲求が確実に存在する。自分の不完全さを自覚するようなことがあると不安を覚えるからだ。だから早く完成された真理である私になりたいと願ってしまうのである。私の頭の中は「権威主義的」な価値観がビッチリバッチリこびりついているようだ。駅の和式便器に残るクソのように・・・・・・。

 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」において、大審問官は「人間が求めているのは自由などではなく、服従できる権威である」というようなことを述べていた。
 権威主義的立場の「真理」は、この「服従できる権威」と同義であろう。我々は自分らの生み出した思想や理論を権威付けて、それを崇め、それに服従することによって、安心したいのかも知れない。思想を自らのアイデンティティ、自分以上の自分にすることによって、自らを権威付け、安心したいのかも知れない。

 しかし、ポパーはあらゆる思想や理論を権威付けることを拒否している。彼は、あらゆる思想や理論は発達段階のものでしかなく《推論》の域を出ない、と言う。ニュートンの理論のように、どんなに確かに見えたものであっても、それは推論でしかない、と言うのである。
 彼の立場は、不確実性による不安を伴うかも知れないが、同時に自由であるのだ。
 不確実性は、我々人間に課せられた宿命であり、確実なのは「真理がある」という一点のみなのかもしれない。

 ポパーが言うような、「真理というものは、人間の外にあるものであって、限界ある人間が我が物にできるものではない」という見解は私の信仰観とも合っているので、受け入れやすくもある。
 私の頭には「権威主義的」な残滓がこびりついているけれど、私の心は「ポパー的」なやり方で真理に向かっている、と言えるのかも。

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

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