ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「育てられない母親たち」石井光太著 を買った

 署名には「母親たち」とあるが、母親たちだけでなく父親たちもまた育てられないのである。そして、ネグレクトや虐待をする「育てられない親たち」もまた、その幼少期にネグレクトや虐待を受けて育っており、彼らは心に多くの傷を負っているのである。「衝撃的な虐待事件」として世に現れてくるのは、その傷が化膿した結果である。

育てられない母親たち (祥伝社新書)

育てられない母親たち (祥伝社新書)

「育てられない母親たち」石井光太著 祥伝社新書 2020年2月10日初版

 著者である石井氏は、本書の中で次のような指摘をしている。

育児困難に陥る親の大半が女性なのは男性の方が先に育児を放棄するからだ。男性は逃げてしまえば済むが、女性は育児も含めてあらゆる負担を背負っていかなければならない。
「第三章 この子さえいなければ・・・・・・」(p.121)

 本書のタイトルには「母親たち」という文言が入っているが、当然のことながら「父親たち」の方にも問題があるのである。


 その一例を本書から挙げてみよう。

 幼少期を崩壊家庭の中で過ごした女性がいて、彼女は成人となり恋人ができる。
 やがて彼女は妊娠するのであるが、彼女の過去の問題およびメンタルの問題などから、彼女は母親になることに恐怖を感じ中絶することを望むのである。
 けれども、彼女の同棲相手は、宗教上の理由から中絶には反対で、彼女に生むことを強要するのである。
 女性と彼氏は、生むか生まないかで口論の日々を過ごすのであるが、やがて子供を望んでいたはずの同棲相手は次のようなことを言い放つのである。

「そこまで子供をつくるのが嫌なら勝手にしろ。俺は出て行く」
そして妊娠している美桜をアパートに残して、出て行ってしまったのである。
「第二章 育て方がわからない」(p.68)

 彼氏はすべてのやっかい事を彼女に担わせて、身勝手にも出て行ってしまった。
 どうやら、彼にとって大切だったのは自身の宗教的メンツだけであり、子供の命もそして彼女の心もどうでもよかったようである。


 この一例からも垣間みえるように、「育てられない母親たち」は、家庭環境や精神面においてさまざまな問題を抱えている。

たしかに彼女には「家庭のモデル」を学ぶ機会がまったくなかった。彼女は子供を愛せないとか、育てられないのではなく、そもそも子供を愛する、育てるということの意味がわからないのだろう。
「第二章 育て方がわからない」(p.97)

 また同様に、宗教的理念を持ち出して女性に「愛情」を強要したような彼氏の方も、自身の「愛情」を示すことはできない。それ故に「父親たち」の方も、さまざまな問題を抱えていることがわかるのである。

 本書を読んでいると、この「育てられない親たち」もまた、その幼少期にネグレクトや虐待を受けて育ってきたことが分かってくる。
 彼らは、その幼少期に「愛情」を体験していない。だから、いざ子供を授かっても子供に「愛情」を抱くことができないのである。


 そして、私たちは、このような親になりきれない親たちを「悪者」として断罪し、彼らを否定して、それで終わりにしてはいけない、というのが著者の主張であり、本書の眼目なのである。

 先に述べたように、子供を虐待するような親たちもまた、その幼少期に虐待されてきており、癒しがたい多くの傷を負って生きてきているのである。
 そして、その傷の治療は、簡単なものではない。時間をかけて癒していかなければならないものなのである。

 私たちは、この「育てられない母親たちと父親たち」に無関心な態度であってはならないのである。

 本書の冒頭では、著者の石井氏はこう述べている。 

本書で行うのは、育児困難や虐待の事例を単純に一側面から見るのではなく、その中に潜んでいる複合的な問題を解き明かしていくことだ。
(略)
こうしたことをする理由は何なのか。
それは、このまま育児困難や虐待を一面から捉え、加害親を批判したり、公的機関にのみ責任を押しつけているだけでは、現在の状況が改善する見込みは立たないからだ。
今、問題解決の糸口として考えられているのは、多方面からの支援だ。当事者や関連機関だけでなく、保育園、学校、会社、肉親、近隣住民など周辺にいる人々みんなが問題を正しく理解し、それぞれの立場から支援をしていくということだ。それを実現するには問題の構造を正しく知る必要がある。
「はじめに」(p.8)

 我々が、虐待する親たちのことを理解し、そして彼らを支援していく、その第一歩として本書『育てられない母親たち』をお手に取ってみてはいかがであろうか。